3年前に体を壊し、仕事をリタイアし、余生は静かに暮らそうと思った。
時間ができて、今まで知らなかった事を調べる習慣がついた、そのこと自体は悪くはないのだが、余生をのんびり暮らすことができなくなくなっている。
朝起きれば、すぐにパソコンを起動し、今日の天気、株価の動静、ニュース等をチェックし、完了すれば、テレビをしばらく見て、毎日の日課である公園での散歩に出かける、歩くのに疲れたらまた、休憩しながらスマホを見ている。

必要性に駆られて、情報を得ているのではなくて、自然と情報に接しているのである。
何故こんなことになるのか、考えてみたら、何もしないでボーッとしているのが不安だからじゃないかと思った。
私だけでなく、多くの人も同じ感覚で、歩きながら、また,ひどい人になると、車を運転しながらスマホを見聞きしている、緊急性に駆られて見ている人など10人に一人いるか、いないぐらいだと思う
何時から、こういうことになったかというと、2000年代前半に普及した、携帯電話にあると思われる。
それまでは情報は、テレビ・新聞・本とかでしか得られず、調べ物をしたくても、その情報にたどり着くのに、結構時間かかったものである。ところが今はAIの進歩により、ほんの2,3秒で答えにたどり着くことができる。
果たしてこのコスパのいい状態が、人間の脳の働きにとって、どうなんだろうか?という疑問が生じてくる。
昔、グーグルマップがなかった時、道順は頭で記憶するものであり、相手の電話番号もそうであった、苦労して記憶したことは、忘れなかった、今はそれらの情報が瞬時に出てくるので便利なのだけど、覚えられなくなったし、記憶しようとする気力もなくなった。
科学の発展は、便利さをもたらしたが、人間が本来持っている能力を退化させているように思える。
情報や知識は、本来取りに行くものであり、追いかけられるものではないはずである。
溢れている情報の中から、正しい情報を手に入れるのも、求める側の基礎知識がないと、かなり難しい作業にになると思う。
私は長く建築業界に身を置いたので、大工・左官・屋根ふき等、職人の匠の技に接した経験から言うと、どの職人も親方の元、長い年月、厳しい修行を経て技術を身に着けてきたのである。
皆、知識や情報を得て技を身に着けたわけでなく、親方の仕事を見て身にしみこませていったのである。
残り少ない余生は、自然の移り変わりを体で感じ、何もしないボーっとした時間を持つことにより頭の中をリフレッシュし、不便を楽しみながら生きていきたいと思う。

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